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ハトシェプスト女王 第18王朝、トトメス1世の娘ハトシェプストと結婚したトトメス2世は、30代の若さで死んだ。 (当時のエジプトでは王位継承権は娘にあり、ファラオになるには王位継承権のある娘と結婚する必要があった。) そのトトメス2世の後を継いだのが、ハトシェプストの娘と結婚したまだ幼少のトトメス3世で、 ハトシェプストはその摂政として国政をとるようになる。 次第に実権を握っていくハトシェプストは、女でありながらファラオとして君臨するようになり、 デル・エル・バハリに、歴代ファラオと同様、葬祭殿を建てた。 軍事国家であった第18王朝の中では平和主義者であったハトシェプスト女王は、 軍隊に力を注ぐより貿易に力を注いだ。その貿易の様子が葬祭殿の壁画にも残されている。 ハトシェプスト女王の死後、その影で20年以上も日陰の身として追いやれられていたトトメス3世は、 その恨みを晴らすべく、ハトシェプスト女王の壁画をすべて削り取らせた。 そんな感情的な行動に出たトトメス3世だったが、しかしトトメス3世の政治能力は高く、軍事力を強化した彼は、 エジプト史上最大に領土を広げた。 墓荒らしからのミイラの隠し場 ルクソ−ルの西岸、ハトシェプスト女王の葬祭殿のあるデル・エル・バハリの崖下の岩穴から、 1881年、セティ1世やラムセス2世などの歴代のファラオのミイラを含む王や王妃のミイラが数十体まとまって発見された。 それは新王国時代の末期、王家の谷から墓泥棒の盗掘を逃れるべく神官達が運び込んだミイラの隠し場所だった。 その十年後にも同じデル・エル・バハリでもう一つの隠し場所がみつかり、 さらに1898年には王家の谷のアメンヘテプ2世王墓の福室からも隠し場所がみつかった。 この貴重なミイラの数体は、エジプト考古学博物館のミイラ室で見る事ができる。 |
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