エジプトの遺跡

王家の谷(アメンホテプ2世・ラムセス3世・ラムセス4世・ツタンカ-メン王の墓)


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アメンヘテプ2世

古代エジプト史上最大の領土を築いた第18王朝のトトメス3世の後を継いだのが、 その長子、アメンヘテプ2世である。 広大な領土を引き継いだアメンヘテプ2世は父の意思を継いで、 国内では平和な統治を、征服地に対しては力を持って治めた。

ツタンカ−メン

エジプト第18王朝のファラオの一人イクナテンは、三千年に渡る多神教のエジプト史の中で 唯一、一神教のアテン信仰を掲げた異端のファラオとして有名である。
アテン信仰の中心アケト・アテンで、 そのイクナテンの后、ネフェルティティにより王位継承者として育てられたツタンカ−メンの名は、 最初、「トゥット・アンク・アテン」(ツタンカ−テン)であった。 しかし9〜10歳で王位につき、都をテ−ベに移して後、 「トゥット・アンク・アメン」(ツタンカ−メン)と改名する。 この改名はアテン信仰からアメン信仰への改宗を意味するが、 そこに、権力争いに利用された若いファラオの姿を想像する事ができる。

アテン信仰からアメン信仰への復興という過渡期を生き、18〜19歳でこの世を去ったツタンカ−メン、 王名表にも記載されていなかった在位数年の忘れ去られたファラオが 一躍有名になったのは、1922年のツタンカ−メン王墓の発見だった。

ハワ−ド・カ−タ−

1922年10月18日、ハワ−ド・カ−タ−はラムセス6世の王墓横のラムセス6世の人夫小屋の土台の下から、 ツタンカ−メン王墓に続く階段を発見する。 1915年に王家の谷の発掘権を取って以降、 発掘費用の出資者、カ−ナボン卿と共に王家の谷を掘り続けて実に6シ−ズン目、 長年追い求めていたツタンカ−メン王墓がこの階段の先から ほとんど手付かずの状態で発見された。

副葬品は全部で二千点以上、 さらに玄室いっぱいに広がる四重の厨子を取り除き、 厨子に納められていた三重の木製黄金張りの人形館(三重目は純金製で重さ110.4キロ)を 取り除き、黄金のマスクを被ったツタンカ−メンのミイラにたどり着くまでには莫大な費用と時間と労力を要した。 途中、ツタンカ−メンのミイラを見る事なく出資者であるカ−ナボン卿が亡くなる。

「ファラオの呪い」等というマスコミの中傷やエジプト考古局との対立等、様々な問題はあったが、 しかしハワ−ド・カ−タ−とカ−ナボン卿によって発掘されたすばらしい遺品の数々を今、 私達はエジプト考古学博物館やルクソ−ル博物館等で目にする事ができる。

*山岸涼子の漫画「ツタンカ−メン」全4巻(潮出出版社)は、 ハワ−ド・カ−タ−を主人公に
ツタンカ−メン王墓の発掘を漫画にしたものだが、 スト−リ−もしっかりしているので一読の価値ありだ。

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