第1章〜王宮〜
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バルボーン城(7)
引っ越しは簡単だった。持ち出す荷物といえば、犬のセラムだけだったからだ。
サンバールは自宅へ帰った。とは言っても同じ王宮の中である。今までの様に隣という訳にはいかないが、遠いというほどでもない。充分歩いて行ける距離だった。
セラムは新しい住まいの中で、庭を一番気に入った。犬のセラムが走り回ったり、剣の練習をしたりするのに充分な広さがあったし、セラムの大好きな大きな木も四本ある。
セラムはロレーヌを側室として迎えた。そうしなければならないような気がした。
知り合って五年、ロレーヌは二十三歳になっていた。
王は十歳のセラムが、あと一〜二年でアカデミーの定めた単位を取り終えると考えて、ロレーヌを送り込んだに違いない。それがこんなにものびてしまい、ロレーヌには可哀想な事をした。
セラムが手放さなかったばかりに、ロレーヌは二十三になるまで誰とも結婚出来ずにいた。
セラムが一言気に入らないといえば、別の縁談を用意された事だろう。
しかし、セラムはロレーヌを気に入っていた。美しいだけでなく頭がいい。女性と言えば、五人の侍女達しか知らないので比較は出来ないが、王族というだけでこびない、毅然とした態度は気持ちがいい。
セラムは知らなかったが、すべての王子はアカデミーの定めた単位を取らなければ、独立出来ない決まりになっていた。当然結婚も許されない。
正妃はまだ持ちたくない。やっと自由が手に入ったのだ。今まで出来なかった好きな事をしたい。出来ればバルボーンの外にも出てみたい。知らない土地を旅してみたかった。
もっとも、正妃にと望んでも身分やら政治的判断やらが絡んで、許可はおりないだろう。
セラムは王位になど全く興味はない。第一王子という肩書きをたくさんいる弟達に譲りたかった。
父王には二十人以上の側室がいる。結果としてセラムには何人もの兄弟がいる。殆ど会った事もないし何人いるかも知らないが、少なくとも側室の数だけはいるのだろう。そんなにたくさんあとに控えているのなら、自分一人くらいいなくなってもよさそうなものだ。
”第一王子でさえなかったら。”
セラムは広い庭の芝生の上に犬と一緒に寝転んで、ゆっくりと雲が流れるのを見ていた。
広大な空にひとりぼっち投げ出された気がして、セラムは急に哀しくなった。サンバールが恋しい。今日はまだ一度も会っていない。
あの狭い空間の中では、サンバールは手をのばせば届く所にいつもいた。
自由を満喫しようと両手を広げた途端、こんな不安に襲われるとは、考えてもみなかった。
「牢獄暮しが長かったからな。広いと不安になるのかも知れない。」
セラムはそう言ってから、答えてくれる者のない侘びしさを味わう羽目になった事に気がついた。
「何か言ってくれ。」
犬のセラムの頭を撫でたが、耳をピクッと動かしただけで、顔も上げずに眠ったままだ。
もう老犬の域に入っているのかも知れない。
「サンバール……。」
セラムは広げていた手で顔を覆って呟いた。
「私をお呼びですか?セラム。」
耳に心地よい聞きなれた声に、セラムは飛び起きた。
そこにはからかうように笑っているサンバールが立っている。
「サンバール、どうしてここに!」
「あなたが寂しがっているのが聞こえたのでやって来たんですよ。」
「さ、寂しがってなど!!」
言いかけてセラムは口籠った。たった今サンバールの名前を呼んだのを聞かれているからだ。
「別に、寂しかった訳じゃない。」
セラムはプイッと横を向いた。こうやって拗ねている所を見ると、まだまだ子供だ。
サンバールはセラムのこんな顔がとても好きだった。
セラムが自分の手の中にいると感じられた。
「セラム、かわいいですね。」
サンバールがにっこり笑う。
「私は男だ。かわいいなんて!」
セラムが頬を上気させて言い返すのを見て、
「犬のセラムに言ったんですよ。」
と、楽しそうに言う。
「ぐっ。君は相変わらず意地悪だ。」
セラムは乱暴に言い放つと、スタスタと建物の方に歩き出した。怒っている訳ではない。サンバールが側に来ただけでさっきの不安がきれいに消え去ったのを認めるのが気恥ずかしかったのだ。サンバールにこの気持ちを悟られたくなかった。
サンバールはセラムの後ろ姿を見送った。五月の心地よい風が軽く頬を撫でて通り過ぎる。
噴水からの水しぶきが時折風に混じる。
バルボーン城はいつも平和だった。

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